人が人を裁くということ

難しいことだと思います。
人間社会をやっていくうえで
人間社会に害のある人間にはそれなりの
処遇をしていかないとなりゆかないのは当然のこと。


それは人間に限ったことではない。
社会性のある、動物だって昆虫だって
みんなに都合の悪いものは排除せざるを得ない。


被害者とその関係の方々は
裁判で決着がつくと気がすむのでしょうか。
長い長いつらい裁判を越えて
得たものはなんでしょうか。

何のための裁判?
何のための弁護?

そして死刑判決が出て一つの結論がでたとして
敵がうてたといえるのでしょうか。


普通の人の普通の常識では
考えられないような事件を
普通の人たちがいくら調査、分析しても
時間がかかればかかるほど
そのときその瞬間の出来事はわからなくなっていくだけ。


そこに何かの救いがあるとすれば何でしょうか。

傷ついた人がますます傷つき
罪を犯した人の罪がますます深くなり
不可解なことはますます不可解に
そして闇の中に混沌としてしまう。


なにかもう一歩踏み込んだ裁きというものであって欲しい。
流れる時間というものを大切にして欲しい。



実に残忍で悲惨な事件だったと思います。
悲しみと苦しみ、重圧に耐え戦ってこられたご主人は
立派な方ですね。