振り出しに戻る?


社会人一年生の<むすこその1>が、残業が多く通勤が大変だということで、都心で一人暮らしを始めることになって、昨日は引越しだった。実家から通えば、洗濯も食事のしたくも、アマゾンの受け取りも、みーんなやってもらっていたわけでラクチンに決まっているのに、自ら決断した親離れを明るく温かく送り出した。

偶然にも、父親(ってまささんですが)中高大とすごした家のすぐ近くに住処をみつけてきた。DNAに刷り込まれた帰巣本能がそんなに強烈なものとは思わなかった。自然にその町が気に入って、そこに決めたのだろう。不思議なものだ。引越し荷物を運んだまささんは、昔と変わらぬ町並み(変わってしまったところも多いのだろうが)を見つけては、さぞかしなつかしかっただろう。

お皿もコップもテレビもカーテンも洗濯機もまだない部屋で、何を夕飯に食べて寝たのだろうか。今朝は無事に出勤したのだろうか。戸締りは大丈夫だろうか。


あえてメールはまだしていない。マザコンまささんの言いつけを守って、これ以上できないくらい手をかけて育ててきたので、母親としても何も思い残すことはない。「じゃあ、おかあさん、しばらく帰ってこないから」とダンボールを抱えて出て行った。なにもかわらないいつもの見送りを装っていたのだが、出かけのことばには、いつもと違う何かが込められていた気がした。自然に巣立つ日がいつかはくると思ってはいたが、23年間の子育てに大きな終止符が打たれた。

就職してからの10ヶ月、彼は大きく成長した。毎日、帰りが遅い日もいろいろな話をたくさんしてくれた。私には大きな刺激になっていた。話し相手としては、最高の相棒だった。一番日当たりのよい彼の部屋には、まだたくさんのものが残ってて、ほとんど変わりがないのだが、デスクトップのPCとキーボードが一台なくなっている。それだけで、彼の本拠地ではなくなった部屋ががらんとして見えた。


また週末には帰ってくるつもりなのか、それとももっと長い「しばらく」帰ってこないのか。今度帰ってきたら、何を食べさせようか。買い物に行っても、目に付くのは息子の好物ばかり。夫婦2人では、あまり買うものがない。

「また新婚に戻ったんだね」と友達に言われた。なんだか振り出しに戻った気がした。
新婚という気分には、到底なれない。新たな試練に、時間をかけて立ち向かわなければならない。「おかあさん」でない自分を思い出すのには、ちょっと時間がかかるようだし。